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桜 花
願はくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃
西 行
今年の桜は見事だった。木次土手の桜のトンネルの桜は房のようになって咲いた。小型の紫陽花の様な花房が万朶に重なって、櫻木全体が盛り上がっていた。小高い丘の上にある木次公園の桜を遠くから見た。薄紅の雲がつらなっているようだった。開花期間もながく、なかなか色あせなかった。
加茂町三代段部集落にある枝だれ桜の大樹も重たく花をつけて枝垂れていた。 桜はいつの春も、いずこの桜も、魅惑的で圧倒的だ。
文句のつけようがない桜花だが、皮肉とも思える文章が目に付いた。『アエラ』四月十四日号で、高村薫氏が「平成雑記帳」と題する連載随筆で次のように書いている。
「桜が咲いた。子供たちは新学期に胸を膨らませ、呑気な大人たちは花見に浮かれ、老人たちはこの花を来年も見られるだろうかと沈鬱になり、はたまた進学や就職に失敗した青年たちは、あらためて焦りと絶望をつのらせる。桜の季節は、その時点での己の人生の勝敗や幸。不幸を、ほんとうはどこにもそんな必要はないのに人びとに思い出させ、十日足らずで過ぎて行く自然のサイクルにかかわらず、必要以上に人のこころを惑わせる」。
確かに指摘された面はある。「咲いた花なら散るのは覚悟。みごと散りましょ、国のため」などと軍国主義に利用された不快を思い出させる。大学入試で不合格の知らせに「桜散る」と打電してきた大学も、私が現役の頃には、あった。桜には迷惑なことであっただろう。
けれども、人は、桜にそうした悪しき思い入れをしてきたことを忘れて、「桜前線」などという言葉を作って心騒がせるのは、桜は文句なしに美しいと言う意識が日本人のDNAに組み込まれているからではないかとさえ思う。
桜の美しさ、妖しさ、見事さを讃えた俳人・歌人・小説家は多い。その中で、桜の詩人といえば、私には、西行であり、一番好きな桜の歌は冒頭に引いた和歌である。
西行は、元は佐藤(さとう)義清(のりきよ)といい、天皇を警護する北面の武士で、平清盛や藤原俊成卿たちと親しい間柄だった。文武に優れ眉目秀麗なエリート武士だったが、突然、妻子や地位、名門の家を捨てて、乞食同然の放浪の旅に出た。理由は、幾つかあるが、確定的なものはない。
一説には、恐れ多い高貴の女人と深い中になったが、「ただ一度だけ」という女人の仰せがあっため、重ねての逢瀬を諦めて、出家したという。
なんと贅沢な願いだろう。爛漫の桜花の下で、しかも満月の夜に死にたいとは。満開と満月が揃うことはめったにないことだ。
驚いたことに、西行は一一九〇年如月十六日、享年七十三歳で、河内の国南葛城(みなみかつらぎ)の広川寺で円寂した。如月十六日は新暦では三月末になる。桜が満開の頃で、十五日は満月である。しかも釈尊入滅の日だ。満足して西方浄土へ行ったことだろう。
西行は「桜狂いの詩人」と言われ、桜の歌をたくさん残している。好きな桜の歌をもう一首。「櫻と夢」という題を与えられて創ったものだ。
「春風の花を散らすと見る夢はさめて胸のさわぐなりけり」。
桜は、かくまでに心を乱す。その名残は今も残っている。
西 行
今年の桜は見事だった。木次土手の桜のトンネルの桜は房のようになって咲いた。小型の紫陽花の様な花房が万朶に重なって、櫻木全体が盛り上がっていた。小高い丘の上にある木次公園の桜を遠くから見た。薄紅の雲がつらなっているようだった。開花期間もながく、なかなか色あせなかった。
加茂町三代段部集落にある枝だれ桜の大樹も重たく花をつけて枝垂れていた。 桜はいつの春も、いずこの桜も、魅惑的で圧倒的だ。
文句のつけようがない桜花だが、皮肉とも思える文章が目に付いた。『アエラ』四月十四日号で、高村薫氏が「平成雑記帳」と題する連載随筆で次のように書いている。
「桜が咲いた。子供たちは新学期に胸を膨らませ、呑気な大人たちは花見に浮かれ、老人たちはこの花を来年も見られるだろうかと沈鬱になり、はたまた進学や就職に失敗した青年たちは、あらためて焦りと絶望をつのらせる。桜の季節は、その時点での己の人生の勝敗や幸。不幸を、ほんとうはどこにもそんな必要はないのに人びとに思い出させ、十日足らずで過ぎて行く自然のサイクルにかかわらず、必要以上に人のこころを惑わせる」。
確かに指摘された面はある。「咲いた花なら散るのは覚悟。みごと散りましょ、国のため」などと軍国主義に利用された不快を思い出させる。大学入試で不合格の知らせに「桜散る」と打電してきた大学も、私が現役の頃には、あった。桜には迷惑なことであっただろう。
けれども、人は、桜にそうした悪しき思い入れをしてきたことを忘れて、「桜前線」などという言葉を作って心騒がせるのは、桜は文句なしに美しいと言う意識が日本人のDNAに組み込まれているからではないかとさえ思う。
桜の美しさ、妖しさ、見事さを讃えた俳人・歌人・小説家は多い。その中で、桜の詩人といえば、私には、西行であり、一番好きな桜の歌は冒頭に引いた和歌である。
西行は、元は佐藤(さとう)義清(のりきよ)といい、天皇を警護する北面の武士で、平清盛や藤原俊成卿たちと親しい間柄だった。文武に優れ眉目秀麗なエリート武士だったが、突然、妻子や地位、名門の家を捨てて、乞食同然の放浪の旅に出た。理由は、幾つかあるが、確定的なものはない。
一説には、恐れ多い高貴の女人と深い中になったが、「ただ一度だけ」という女人の仰せがあっため、重ねての逢瀬を諦めて、出家したという。
なんと贅沢な願いだろう。爛漫の桜花の下で、しかも満月の夜に死にたいとは。満開と満月が揃うことはめったにないことだ。
驚いたことに、西行は一一九〇年如月十六日、享年七十三歳で、河内の国南葛城(みなみかつらぎ)の広川寺で円寂した。如月十六日は新暦では三月末になる。桜が満開の頃で、十五日は満月である。しかも釈尊入滅の日だ。満足して西方浄土へ行ったことだろう。
西行は「桜狂いの詩人」と言われ、桜の歌をたくさん残している。好きな桜の歌をもう一首。「櫻と夢」という題を与えられて創ったものだ。
「春風の花を散らすと見る夢はさめて胸のさわぐなりけり」。
桜は、かくまでに心を乱す。その名残は今も残っている。
掲載日: 08-04-24
コラムニストプロフィール
槙原 茂 (まきはら しげる)
元公立高校教員という経験を活かし、情緒、風情あるコラムを掲載します!
【 経歴・バックグラウンド 】
- 1940年旧大原郡加茂町に生まれる。現在まで雲南市加茂町在住。
- 1944年父戦死
- 1963年島根県の公立高校教員に採用される。以後定年退職まで島根県内の 幾つかの高校で英語を教える。
- 1995年10月から島根日々新聞でコラム『木漏れ日」、「プリズム」に拙文を寄せる。
【 家 族 】
母、妻、長男(東京在住)、長女(シドニー在住)
【 著 書 】
詩集: 『水脈』
エッセイ集: 『四季の賦』、『終着駅にて』
【 趣 味 】
山歩き、スキー、釣り、詩作

